重職心得箇条
これは幕府教学の大宗であった佐藤一斎が、その郷国美濃岩村藩の請によって作った憲法で、すべて重職に在る者の為の名訓である。
一、
重職と申すは、家国の大事を取計べき職にして、此重の字を取失ひ、軽々しきはあしく候。大事に油断ありては、其職を得ずと申すべく候。
先づ挙動言動より厚重にいたし、威厳を養ふべし。重職は君に代るべき大臣なれば、大臣重ふして百事挙るべく、物を鎮定する所ありて、人心をしつむべし、斯の如くにして重職の名に叶ふべし。
又小事に区々たれば、大事に手抜あるもの、瑣末を省く時は、自然と大事抜目あるべからず。
斯の如くして大臣の名に叶ふべし。凡そ政事名を正すより始まる。今先づ重職大臣の名を正すを本始となすのみ。
二、
大臣の心得は、先づ諸有司の了簡(りょうけん)を尽さしめて、是を公平に裁決する所其職なるべし。もし有司の了簡より一層能(よ)き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず。
有司を引立て、気乗り能(よ)き様に駆使する事、要務にて候。又些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。
功を以て過を補はしむる事可也。又賢才と云ふ程のものは無くても、其藩だけの相応のものは有るべし。人々に択(よ)り嫌なく、愛憎の私心を去て、用ゆべし。
自分流儀のものを取計るは、水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌ひな人を能(よ)く用いると云ふ事こそ手際なり、此工夫あるべし。
三、
家々に祖先の法あり、取失ふべからず。又仕来仕癖(しくせ)の習あり、是は時に従て変易あるべし。
兎角目の付け方間違ふて、家法を古式と心得て除(の)け置き、仕来仕癖を家法家格などと心得て守株(しゅしゅ)せり。
時世に連れて動すべきを動かさざれば、大勢立ぬものなり。
四、
先格古例に二つあり、家法の例格あり、仕癖の例格あり、先づ今此事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付、時宜を考へて然る後例格を検し、今日に引合すべし。
仕癖の例格にても、其通りにて能(よ)き事は其通りにし、時宜に叶はざる事は拘泥すべからず。自案と云ふもの無しに、先づ例格より入るは、当今役人の通病(つうへい)なり。
五、
応機と云ふ事あり肝要也。物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。其機の動き方を察して、是に従ふべし。
物に拘(こだわ)りたる時は、後に及んでとんと行き支(つか)へて難渋あるものなり。
六、
公平を失ふては、善き事も行はれず。凡そ物事の内に入ては、大体の中すみ見へず姑(しばら)く引除て活眼にて惣体の体面を視て中を取るべし。
七、
衆人の厭服する所を心掛べし。無利押付の事あるべからず。苛察を威厳と認め、又好む所に私するは皆小量の病なり。
八、
重職たるもの、勤向繁多と云ふ口上は恥べき事なり。仮令(たとえ)世話敷とも世話敷と云はぬが能(よ)きなり、随分手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。
重職小事を自らし、諸役に任使する事能(あた)はざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢あり。
九、
刑賞与奪の権は、人主のものにして、大臣是を預るべきなり。倒に有司に授くべからず。斯の如き大事に至ては、厳敷透間あるべからず。
十、
政事は大小軽重の弁を失ふべからず。緩急先後の序を誤るべからず。徐緩(じょかん)にても失し、火急にても過つ也。着眼を高くし、惣体を見廻し、
両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て、手順を遂て施行すべし。
十一、
胸中を豁大(かつだい)寛広にすべし。僅少の事を大造に心得て、狹迫なる振舞あるべからず。仮令(たとえ)才ありても其用を果たさず。人を容るゝ気象と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体と云ふべし。
十二、
大臣たるもの胸中に定見ありて、見込たる事を貫き通すべき元より也。然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。
此虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々(よくよく)視察あるべし。
十三、
政事に抑揚の勢を取る事あり。有司上下に釣合を持事あり。能々(よくよく)弁(わきま)ふべし。此所手に入て信を以て貫き義を以て裁する時は、成し難き事はなかるべし。
十四、
政事と云へば、拵へ事繕ひ事をする様にのみなるなり。何事も自然の顕れたる儘(まま)にて参るを実政と云ふべし。
役人の仕組事皆虚政也。老臣など此風を始むべからず。大抵常事は成べき丈は簡易にすべし。手数を省く事肝要なり。
十五、
風儀は上より起るもの也。人を猜疑し蔭事を発(あば)き、たとへば誰に表向斯様に申せ共、内心は斯様なりなどゝ、掘出す習は甚あしゝ。
上(かみ)に此風あらば、下(しも)必其習となりて、人心に癖を持つ。上下とも表裏両般の心ありて治めにくし。
何分此六(むつ)かしみを去り、其事の顕(あらわ)れたるまゝに公平の計(はから)ひにし、其風へ挽回したきもの也。
十六、
物事を隠す風儀甚あしゝ。機事は密なるべけれども、打出して能(よ)き事迄も韜(つつ)み隠す時は却て、衆人に探る心を持たせる様になるもの也。
十七、
人君の初政は、年に春のある如きものなり。先人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至ても明白なるべし。
財帑(ざいど)窮迫の処より、徒に剥落厳沍(げんご)の令のみにては、始終行立ぬ事となるべし。此手心にて取扱あり度(たき)ものなり。
重職心得箇条(口語訳)
一、
重役とは国家の大事を処理すべき役職であって、その重の一字を失い、軽々しく落ちつきが無いのは悪い。大事に際し油断があるようでは、この職は務まらない。先づ挙動言動から重厚にし、威厳を養わねばならない。
重役は主君に代って仕事をする大臣であるから、大臣が重厚であって初めて、万事うまくゆくし、物事をどっしり定める所があって、人心を落ちつかせることが出来るものである。それでこそ重役という名に叶うのである。
また小事にこせついていては大事に手抜かりが出て来る。小さな取るに足らない物を省けば自然と大事に抜け目が無くなるものである。
このようにして初めて大臣という名に叶うのである。およそ政事というのは名を正すことから始まる。今先づ重役大臣の名を正すことが政事の一番の本であり始めである。
二、
大臣の心得として、先づ部下、諸役人の意見を十分発表させて、これを公平に裁決するのがその職分であろう。
もし、自分に部下の考えより良いものがあっても、さして害の無い場合には、部下の考えを用いる方が良い、部下を引立てて、気持ち良く積極的に仕事に取り組めるようにして働かせるのが重要な職務である。
また小さな過失にこだわり、人を容認して用いることが無いならば、使える人は誰一人としていないようになる。功をもって過ちを補わせることがよい。
またとりたててえらいという程の者がいないとしても、その藩ごとに、それ相応の者はいるものである。択り好みをせずに、愛憎などの私心を捨てて、用いるべきである。
自分流儀の者ばかりを取り立てているのは、水に水を差すというようなもので、調理にならず、味もそっ気もない。平生嫌いな人を良く用いる事こそが腕前である。この工夫がありたいものである。
三、
家々には祖先から引き継いで来た伝統的な基本精神(祖法)があるが、これは決して失ってはならない。また、しきたり(仕来)、しくせ(仕癖)という習慣があるが、これは時に従って変えるべきである。
とかく目の付け所を間違って、祖先伝来の家法を古くさいと考えて除けものにし、しきたり・しくせを家の法則と思って一所懸命守っている場合が多い。
時世に連れて動かすべきものを動かさなければ、大勢は立たない。(時勢におくれてしまって役に立たない)
四、
昔からの習わしとか先例というものには二種類ある。一つは家法から来る憲法的なきまりであり、もう一つは因襲のきまりである。
今、ある問題を処理する場合、こうあるべきだという自分の案を先づ作成し、時と場合を考えた上で習わしとか先例とかを調べて、此れで良いかを判断しなければならない。
単なる習慣からくる習わしや先例であっても、其のとおりで良い事はその通りにすれば良いが、時宜に合わない事には拘泥していてはならない。
自案というものも持たずに、先づ古い習わしとか先例とかから入って行くのは、当今の役人の共通の病気である。
五、
機に応ずということがあるが、これは重要なことである。何事によらず、後からやって来る機というものは事前に察知できるものである。
その機の動きを察知してそれに従うがよい。ものに拘っていて(この機をのがした時に)は後でとんと行きつかえてどうにもならぬものである。
六、
公平を失っては善い事すらも行われない。だいたい物事の内に没頭してしまうと、どこが中か隅かもわからなくなってくる。しばらく問題を脇に除けて、活眼でもって全体を見わたし、中を取るがよい。
七、
衆人が服従することを厭がる所をよく察して、無理押付はしてはならない。
きびしく人の落度などを追求することを威厳と考えたり、また自分の好むがままに私したりするのは、皆人物の器量の小さいところから生ずる病である。
八、
重役たる者、仕事が多い。忙しいという言葉を口に出すことを恥ずべきである。たとえ忙しくとも忙しいといわない方が良い。
随分、手をすかせたりして、心の余裕が無ければ、大事な事に気付かず、手抜かりが出るものである。
重役が小さな事まで自分でやり、部下に任せるという事が出来ないから、部下が自然ともたれかかって来て、重役のくせに仕事が多くなるのである。
九、
刑賞興奪の権は主君のもので、大臣がこれを預かるべきであり、逆様に部下に持たせてはならない。このような大問題については厳格にして、ぬかりのないようにしなければならない。
十、
政事においては大小軽重の区別を誤ってはならない。緩急先後の順序も誤ってはならない。ゆっくりのんびりでも時機を失することになり、あまり急いでも過ちを招くことになる。
着眼を高くし、全体を見廻し、両三年、四、五年ないし十年の内にはどうしてこうしてと心の中で成算を立て、一歩一歩と手順を踏んで実行しなさい。
十一、
心を大きく持って寛大でなければならない。ほんのつまらぬ事を大層らしく考えて、こせこせとした振舞をしてはならない。
たとえ素晴らしい能力を持っていても、それではその能力を発揮させることが出来ない。人を包容する寛大な心と何でも受けとめることの出来る度量の大きさこそが、まさに大臣の大臣たる所というものである。
十二、
大臣たるもの胸中に一つの定まった意見を持ち、一度こうだと決心した事を貫き通すべきであるのは当然である。
しかしながら心に先入主、偏見をもたないで公平に人の意見を受け入れ、さっとすばやく一転変化しなければならない事もある。
この心を虚しうして意見を聞き一転変化することが出来ない人は、我意が強いので弊害を免れることが出来ない。よくよく反省せられよ。
十三、
政事においては抑揚の勢とて、或は抑えたり、或は揚げたり調子をとらねばならぬことがあり、また部下上下の間に釣合を持たねばならぬこともあって、よくよくこれをわきまえねばならない。
この所を充分心得た上で、信を以って貫き、義を以って裁いていけば、成し難い事は無いものである。
十四、政事というとこしらえ事、つくろい事をするようにばかりなるものである。何事も自然に現れたままで行くのを実政というのであって、役人の仕組むような事は皆虚政である。
殊に老臣などは役人の模範であるから、こういう悪風を始めてはならない。通常起こる大抵の仕事は出来るだけ簡易にすべきである。手数を省くことが肝要である。
十五、
風儀というものは上の方から起って来るものである。人を疑ってかかり、隠されている事まで発き、例えば「誰某に表向このように言ったけれど、実はこうなのだよ。」などとほじくり出す習いは非常に悪い事である。
上にこのような風儀があれば、下は必ず見習い、人心に悪い癖がつく。上下ともに心に表裏が出来、治め難くなって来る。従ってこのようなむつかしみを去り、その事の現れたまま正直に公平にやれるようその風へ挽き回したいものである。
十六、
物事を何でも秘密にしようとする風儀は非常に悪い。大切な問題は秘密でなければならぬが、明け放しても差し支えの無い事までも包み隠しする場合には、かえって人々に探ろうという心を持たせるようになってくる。
十七、
人君が初めて政事をする時というのは、一年に春という既設があるようなものである。先づ人の心を一新して、元気で愉快な心を持たすようにせよ。
刑賞においても明白でなければならない。財政窮迫しているからといって寒々とした命令ばかりでは結局うまく行かないことになるだろう。ここを心得た上でやって行きたいものである。